公開日:2017年9月4日

言語における基本的な音は、次の3つではないかと私は考えています。

(1)M [口と閉じたまま音を出すと出る子音]

(2)A [口を開けたまま音を出すと出る母音]

(3)N  [口を自然にして鼻に抜いて出る子音]

これらのうち、MとAは音としては全く飾らないので極基本音で、Mを肯定子音、Aを肯定母音と、私は名づけています。さらに、Nは「ふん!」という音が持つイメージからわかるように、否定的な単語をたくさん生み出しますので、否定子音と名づけています。確かに、日本語の「ない」、英語のnot、ドイツ語のnein、ロシア語のnyetなどN音が入っています。日本語の「・・・するな」の「な」も否定的な意味を持ちますね。

MとAの関係について考えてみましょう。Mは「む?」という音が持つイメージからわかるように、考えることを重視する、行動は後回しという感じで、肯定音(子音)でも、いわば消極音(思考音)です。これに対し、Aは「あ!」という音から、何か発見した感じ、よし行動しよう!というイメージも出て、同じ肯定音(母音)でも、いわば積極音(行動音)といえます。

今まで挙げたMとAとNは、言語上、基本的な概念を生み出すのは不思議なことではないのかもしれません。これらが、言語における基本音だからです。例えば、不定冠詞は、まさに、a(そしてan)だし、MとAとNをそのまま、つなげれば、man(人間)となります。

私が面白いと感じるのは、AMとMAの対比です。英語の世界でamといえば、もちろん、I amのamで、「私は・・・だ」の自己主張をしている感じですね。英語では積極的なaから始まる単語が自分を表現するわけです。一方、日本語は、これに対し、MAを重視します。MAとは「間」で、人間と人間の間の関係(=人間関係)が重要ということです。英語の世界では個人(AM)に焦点を当てるのに対し、日本語の世界では、個人と個人の間(MA)を大切にするのです。

これらの基本音は、文化にも影響を与えています。文化の基礎を形作る宗教を例にとりましょう。キリスト教で重要なamenという言葉にAとMとNがしっかり入っています。西洋では個人を重視するので、積極的なAから始まっています。一方、仏教では「南無」があります。これはnamという音ですね。N(自己否定)が重要であることが、この音の並びに如実に現れています。

キリスト教では、自己の確立(AM)が、原罪の消滅(N)につながるのだと主張しているみたいであるのに対し、仏教では、自我の否定(N)が、仏の現出(AM)につながるのだと唱導しているみたいです。自分の良い面を育てるのがキリスト教的発想だとすると、自分の悪い面を取り除くのが仏教的発想であるともいえますね。

AとMとNの話は尽きないのですが、今日はここまでにしておきます。読者の皆さんも何か面白いことを発見したら、私のほうまで、メッセージをくださいね。

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