公開日:2017年10月2日

真の国際人とは、世界の国の人々と楽しく、有意義に、平和的に付き合える人であることは勿論ですが、そのためには、相手の文化のみならず自国の文化にも精通している必要があるということは、よく言われることです。私も正にそう思います。

だから、日本人が真の国際人を目指すには、日本のことをもっと知るべきでしょう。しかしながら、英語が出来る人の中には、日本のことをもっと知ろうとすることはなく、世界にしか目を向けていない人が多いので、ちょっとだけ困ったなお!と思っている今日この頃です。

そこで、私がかつて言語文化学会という学術団体にエッセイとして発表した「重なり志向と分かれ志向」という論考を、このブログ上で、何回かに分けて紹介します。きっと日本文化を理解する一助となるだけでなく、新たな知見が広がるでしょう。とはいうものの、私の日本文化の諸現象に関する仮説でもあるので、批判的に呼んでいただければ幸いです。

*********重なり志向と分かれ志向*********

0.はじめに

豊田有恒の『神道と日本人』に次のような記述がある。

—もともと神道には、正統と異端、真理と誤謬などという、二者択一の論理が存在しないのである。(p.3)

一方、芝垣哲夫の『日本人の深層文化』に以下の記述がある。

—西洋は、「相勝の原理」などというものではく、表か裏、勝か負けかの二者択一をせまるものである。(p.204)

「二者択一」というキーワードから、文化をほぼ二分できるものと思われる。日本文化では、二者択一の論理が重要ではないのに対し、西洋文化では二者択一が重視されると言ってよい。1

二者択一の論理が重要ではない文化では、AとBを峻別するというよりも、AとBを重ねるという発想が生まれる可能性があり、日本文化はその代表であると考えることができる。例えばYesとNoを峻別しない日本社会におけるコミュニケーションでは、YesがしばしばNoと重なり、NoがしばしばYesと重なるわけである。

二者択一の論理が重要である文化では、正に、AとBを峻別するのである。西洋文化はその代表であることは言うまでもない。二者択一とは、確かにAとBを分けるという発想なので、日本文化の重なり志向に対し、西洋文化は分かれ志向であるという発想を導入したい。

石井(2009)では、日本文化は重なり志向である旨のことを論じたが、西洋文化についてはコメントを避けた。本稿では、西洋文化を分かれ志向とし、両文化を対比することを目的とする。そして、重なり志向と分かれ志向という対比が適切であることにも触れる。

なお、「志向性」という用語を、「ある事象に対して『重なり』と『分かれ』のどちらを志向する傾向があるかということ」の意味で用いる。

 

1.言葉の世界の重なり志向と分かれ志向

1.1.漢字の重なり志向とアルファベットの分かれ志向

日本における漢字は、文字を重ねて新たな漢字が出来上がるという点で重なり志向であるといえる。2

(1) 木 → 林 → 森

(2) 日 → 明 → 萌

組み合わせて新たな漢字ができるという点に注目したい。アルファベットにはその発想が適用できない。例えば、Aに何かを重ねて新たなアルファベットができるというようなことはない。つまり、漢字に重なり志向が見受けられるのに対し、アルファベットにはそれがない。

アルファベットから成る単語であれば、同じことができるが、これは、重ねるというよりも、追加する、しかも、状況によって、形を若干変えることになる。

(3) international → internationalize → internationalization 3

むしろ、長い単語は、分析する、つまり、分かれ志向の視点で捉えるほうが理にかなっている。

(4) pneumonoultramicroscopicsilicovolcanoconiosis

(4)の語は、最長語として引き合いに出される単語であるが、これを分かれ志向で考えること(=分けていくという作業)により、意味が明確化する。

(5) pneumono+ultra+micro+scopic+silico+volcano+coniosis

肺    超   微    視  珪素     火山        症

つまり、(5)の意味は「火山から飛び出した超微粒子に見える珪素の粒が肺に入った病気」となり、一般的には「塵肺」である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・注:

  1. 神道においては、二者択一の論理がないと豊田氏は断言しているが、少なくとも、神道においては、神と人間の二者択一の発想はなく、神と人間はつながっている。人間は死後神となる、あるいは、神の道を行くことになる。
  2. 文字が重なるといっても同じスペースを占めるということではなく、全体の漢字が占めるスペースにうまく入れていくという作業で新たな漢字ができる。作業自体は、ほぼ文字を重ねているイメージで、少なくとも分かれ志向ではない。
  3. internationalを動詞にするにはizeをつけてinternationalizeとする。internationalizationとすると名詞になる。その際は、zeがzaに変化する。だから、100%「重なる」という発想はできない。

 

参考文献

石井隆之(2009) 「『重なり志向』の日本文化」『言語文化学会論集』33号、195-227.

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