公開日:2017年10月14日

英語の勉強をしていると、日本語と英語の発想が異なることが分かることがあります。

 

(1)   a. 私はその机の前に座りました。

  1. I sat behind the desk.

(2) a. 彼女は思いっきり想像力を働かした。

  1. She gave full play to her imagination.

(3) a. 彼はその悪い習慣から足を洗った。

b. He washed his hands of the evil habit.

(4) a. その件については、全てが丸く収まった。

  1. Everything was squared away about the matter.

 

(1)から(4)から分かるように、「前に」がbehind(後ろに)、「働く」がplay(遊び)、「足を洗う」がwash one’s hands(手を洗う)、そして「丸く」がsquare(四角)になるわけです。

 

今日は、「机の前に座る」がsit behind a desk(机の後ろに座る)になる理由について、考えてみたいと思います。これは、人が使うものについて、日本人と欧米人の認識が異なることからくると、私は考えています。

 

例えば、前後がはっきりしないものについては、日本人にとっては、自分の手前にくる箇所が「前」なのです。確かに「手前」という表現を用いることから、そのことは如実に理解できますね。

 

一方、欧米人は、自分の前に箇所(またはスペース)は、そのものの後ろに当たると考えるのでしょう。ハンドルすら、それを握る状態は、「ハンドルの後ろにいる」(get behind the wheel)と英語では発想します。

 

日本語で言う机の前(のスペース)の反対側は、机の後ろではないかもしれませんが、前というよりも「奥の方」という感じでしょうか。これが英語の世界では、「前」に相当するわけです。

 

つまり、机を車の操縦席のようなものと考えるとわかりやすいかもしれません。欧米人は、机と自分を同じ方向をむいて移動するイメージを持っているのではないかと思います。日本人は、机は、あくまでも自分に向き合っているというイメージがありますね。

 

欧米人は、同じ方向をむいて移動することを重視し、日本人は、移動をあまりせず、定住することに価値を置きます。その発想の違いが、このような表現の差に表れるのではないかと推察できます。

 

ある空間が与えられると、日本人は角のほうに集まる傾向がありますが、欧米人は堂々と真ん中を陣取ります。私は日本人学生を教えていますが、授業中、彼らは、教室の端っこや後ろの方に遠慮して座ってしまう傾向があります。

 

これは、遠慮がちであるかどうかという性格の要因以外に、「端」という空間の言語的な認識と関係があるのかもしれません。日本語の「始め」という言葉は「端占め」から来ているようです。端が「始め」ということなのですね。

 

欧米人の発想は、自らが中心にいて、どんどん端の方に移動して、開拓していく(特にアメリカ人はこの発想をもっていると思います)迫力があります。だからend(端)という言葉は、時間的なend(終わり)[←日本語と逆ですね!]、と同時に、end(目標)でもあるわけです。

 

日本人は、端からじわじわ動く、できればあまり動きたくない、という感じですが、アメリカ人は、真ん中から端に向かって、自分たちの陣地を広げていくということに喜びを感じるのではないでしょうか。

 

ヨーロッパでも、一部の国が、特にそのような発想を持っていたという歴史的事実があると思われるので、世界のどの地域よりも早く植民地政策が進められたのではないかと考えてしまいます。

 

「前」とbehindの対比だけで、歴史の話にまで展開しそうですが、いずれにしても、言葉というのは、少なくとも、発想の違いを超えて、文化の違いを明確に示すことが、よく分かると思います。

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