公開日:2018年6月5日
最終更新日:2018年6月6日

待ち合わせの時間に必ず遅れてくるという人がいます。この原因は、本人の時間観念の甘さだけでは説明し切れない場合があります。遅刻の常習犯は、途中で出会った人と会話を楽しむということが多いのです。つまり、会話相手の時間軸に合わせるのです。このタイプの人は、自分の時間軸だけではなく、他人の時間軸にも入って行くので、自分の時間軸が狂うということが頻繁に起こります。

 

別の見方をすると、約束の時間に遅刻する人は、人間関係を重視しているということになります。少なくとも、約束の場所に行くまでに会う人とのつながりも大切にするのです。一方、自分の時間軸をしっかりと守る人は、きっちりした人で、約束ということにおいては、当然「人」よりも「時」を重視します。

 

文化人類学者Edward Hallが『Beyond Culture』で論じている「Mタイム」と「Pタイム」という発想があります。Mタイムとは、monochronic timeで「単一的時間」、Pタイムとは、polychronic timeで「多元的時間」のことです。これは時間の捉え方で、人間や文化によって異なるとされています。

 

先に挙げた「約束の時間に遅れる傾向のある人」は、Pタイム型人間ということになります。一方、「約束をきっちり守る人」はMタイム型人間です。日本人は、人間関係を重視するものの、基本的には、Mタイム型(以降、Mタイプ[またはM]と省略、Pタイム型も同様)であると言われています。これは、西洋社会の諸側面を明治以降、いち早く導入したからでしょう。

 

もう一例挙げると、旅行をする場合、無計画に、なんとなくふらっと出かけるタイプがPタイプであると言えるのに対し、スケジュールをきちんと立てて出発するタイプがMタイプでしょう。前者は時間軸を自由に設定するのに対し、後者は時間軸を1つに合わせるからです。

 

一般的に、西洋キリスト教社会では、絶対神(God)の時間が設定され、人間はそれに合わせるしかないので、西洋社会は、M型社会と言えます。一方、多神教世界では、神の数だけ時間があると言ってよいので、日本もP型社会であると言えると観じます。だから、日本人は、人間的にはMタイプで、社会的にはPタイプという、なんとも不思議なことになっています。

 

さて、キリスト教のような一神教の世界は、M型、日本は、神道が多神教だから、P型なのですが、仏教はどちらの部類に属するのでしょう?仏教は、大日如来に統一される密教(真言宗が中心)はM型的ですが、もともと、顕教では大日如来中心説は薄まり、守護神なども多い点を考えるとP型的でもあります。

 

私は、仏教自体は、MP分類(MタイプかPタイプかを決定すること)できないものの、仏教の宗派がMP分類できるのではないかと考えています。しかも、祈りの対象の複数性の視点から分類するのです。すると、意外とシンプルに分類できます。

 

 M型宗派:浄土宗、浄土真宗、時宗、融通念仏宗・・・念仏系

P型宗派:真言宗、天台宗・・・密教系

 

念仏系は、他の仏も認めるものの、阿弥陀仏にすがることを最重要視するので、一神教に近い側面があります。時間は阿弥陀仏の救いに基づき存在していると言えます。阿弥陀仏を信仰する人の死後は、完全に阿弥陀仏に任されます。阿弥陀仏の時間軸1つで世の中が動いているのです。

 

一方、密教は、曼荼羅に多くの神仏が描かれているように、多神教的要素が強いと言えます。それぞれの神仏に真言(マントラ)が存在します。大日如来により統一されるという教義があるものの、それぞれの独自性も保たれているのです。完全に大日如来に統一されるのであれば、他の神仏を一切認めない一神教となりますが、神仏を認めないどころか、その個性を重視しています。従って、時間軸は神仏の数だけ存在すると言っても過言ではありません。

 

禅は教義的には、M型でもP型でもないと思われます(つまりそれを超越している)が、修行的にはM型的でしょう。時間にも厳しく、行動も厳しい側面が目立つからです。日蓮系は、神仏の存在論的には、M型ともP型とも規定しにくいですが、法華経を元に全てが回っているので、法華経の元、時間軸は1つと思われます。そこで、日蓮系もM型的と言えそうです。

 

さらに、密教である真言宗と天台宗の差が微妙にあります。私は、2つの観点で、2者がMP分類できるのではないかと考えています。その2観点とは、以下のように、教義の観点と神仏の存在に関する観点です。

 

  教義的観点 神仏の存在論的観点
M型密教 真言宗 天台宗
P型密教 天台宗 真言宗

 

教義的には、真言宗がM型であるのは、真言宗では、真言宗をトップに、華厳宗や天台宗、さらには道教や神道、更には儒教、そして欲望人の立場までをも取り込んだ、空海の一大精神システム(十住心論)を構築しており、時間軸は、このシステムにより1つに統一されていると言えるからです。

 

一方、天台宗では、これまでの宗教を分類検討し、批判を加え、円密禅戒(円とは法華経)という4つに絞った形で、南都六宗は排除しました。この時点で、南都六宗に別の時間軸を認め、円・密・禅・戒も独立している(互いに溶け合っているのではない)ので、それぞれに時間軸があると考えることができ、P型密教ということになります。

 

しかし、神仏の存在論的観点から分類すれば、不思議なことに、ちょうど逆になるのです。天台宗では、円密禅戒のうち、円(法華経)を重視します。であれば、日蓮系と同じように、法華経を中心に時間が動いていると考えてよいので、M型密教ということになるわけです。

 

ところが、真言宗は、単に、菩薩や如来のみならず、大日如来の化身である不動明王という全く、存在論的に異なる存在も重視しています。従って、P型密教ということは間違いないと考えてよいでしょう。

 

教義が空海の十住心論で統一されたM型特性を持ち、多数の神仏を包含するP型の真言宗は、統一された大宇宙の中で個々の神仏が自由な時間軸で動き回れることを暗示するので、「寛容性」が特徴となると思われます。いわば、MタイプがPタイプを包含する原理が存在するわけです。記号で表現すると「M>P」となると思います。

 

一方、教義が円・密・禅・戒と4つに集約されるPタイプの天台宗は、その中でも「円」(=法華経、正式には妙法蓮華経)という「法」を一番とすることで、結果として、PタイプからMタイプへと変遷していくことが暗示されるので、「純粋性」がその特徴となると考えてよいと思います。こちらの原理は、記号で表現すると「P→M」になります。

 

ちなみに、キリスト教はP的要素が入り込む余地がないので、記号で表現すると「M」のみ、神道は常にP的な多神教なので、同じく「P」のみとなるのです。仏教はMPの融合体で、特に、密教は複雑な原理が見え隠れし、きちんと規定するのはそう簡単なことではないことだけは言えるでしょう。

 

ところで、皆さんはMタイプ人間ですか?それともPタイプ人間ですか?ちなみに、私は、公的にはMタイプですが、プライベートでは極度のPタイプだと思います。

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通訳ガイド研究会
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